PROFILE
金野貴明
ミュージシャン(ヴォーカル、ギター、ベース)
作詞・作曲・編曲家
サウンドエンジニア(レコーディング、ミキシング、マスタリング)
プロデューサー(音楽・映像)
カメラマン(スチール、ムービー、編集 / 200作以上)
デザイナー(WEB、印刷物 / 1000作以上)
ラジオパーソナリティー(FMかつしか)
岩手県一関市出身。
9歳から楽曲制作をはじめ、10歳で路上ライヴを定期的に行うようになる。中学生時代は外見からは想像もつかないほどのスポーツ少年であり、野球、水泳などで活躍した。16歳のころ全国高校生音楽祭「岩手県代表」に選ばれ、岩手県内で人気を高め上京。新聞配達をしながら専門学校に入学。幸運なことに、上京わずか3ヶ月でSD制作部のディレクターから声がかかり、クローバルライツ(SONYグループ)でアーティスト指導を受ける。
その後、(19歳)パワーハウススタジオの椎名社長、柴田常務に認められ、プロデューサー佐藤宣彦氏(ジギー、リンドバーグ、高橋克典、シャズナ、黒夢などを手がけたロック 界のカリスマプロデューサー)を迎え、楽曲制作を開始する。憧れのアーティスト「井出泰彰」氏から楽曲提供を受けるなど勢力的にライヴを展開する。
1999年12月、不運にも事故に合い、顎、頬など、全6箇所を複雑骨折。絶望的なアーティスト復帰不可能宣告を受ける。しかし、本人の強い信念と努力でわずか半年で「奇跡の復活」を遂げる。
2000年11月にファーストアルバム「リファレンス」をリリース。けがの後遺症からライヴ活動やレコーディング中にアゴが外れるなどの障害を乗り越え活動を再開。カラオケ入曲をはじめ、新聞や音楽情報誌などで取り上げられ高評価を得た。 その頃から頻繁に楽曲提供の依頼を受けるようになり、クリエーター、声優、主演映画なども経験。
2004年11月 「有限会社ティートックレコーズ」を設立。 自身のアーティスト活動以外にも次世代アーティストのプロデュースに力を注ぐため精力的に新人発掘を開始する。
2005年4月 セカンドアルバム「リベンジ」を全国リリース。 テレビ、ラジオ、新聞などで大きく取り上げられる。
2006年11月 増資に伴い「株式会社ティートックレコーズ」に社名変更。
その頃からプロデューサー、トータルエンジニアとしての能力が評価され、世界の殿堂入りを果たしたジャズピアニスト「秋吉敏子」のコンサート&ライヴレコーディングを手がけ、ジャズディスク大賞をはじめ、文化褒章など最多5部門を受賞。
その作品は、皇后陛下美智子様に献上され、三大宮様勲章「東久邇宮文化褒賞」も受賞した。
その後も音質にこだわり続け、前代未聞の新パッケージメディアの開発も手がける。
その中でも音質に特化したオリジナルCD-Rに自社スタジオで一枚一枚書き込んだ「マスターCD-Rシリーズ」をはじめ、世界初となるデジタルとアナログの長所を融合した高音質アナログレコード「アルティメット・マスター・ヴァイナル」。
高解像度のWAV音源をパッケージ化した「ハイレゾデータディスク」を製品化。
いち早く「ハイレゾとアナログレコードが今後の音楽の主流」になると強く投げかけ、現代の高音質ブームの火付け役として力を注いできた。
2008年5月 様々な音楽業界への貢献が認められ「社団法人日本レコード協会」に加盟。
最年少でメジャーレコード会社への仲間入りを果す。
2008年2月 マキシシングル「アメージング・ライフ」をリリース。
東海テレビ「もりすぎッ!!」のエンディングテーマソングとラジオNIKKEI「ジョイン・ザ・ミュージック」のオープニングテーマソングに起用された。
2009年 「彩花-iroha-Dear Souls」でスイングジャーナル選定ゴールドディスクを受賞。そして2009年度ジャズディスク大賞「最優秀録音賞」も受賞。
2009年 ジャズヴォーカルの神様「マーサ三宅/Softly as I Leave You」がミュージックペンクラブ「最優秀録音・録画賞」を受賞。
2010年 オスカーピーターソンの後継者「ベニーグリーン」参加のKBS TRIOのアルバムで「スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞」を受賞。
2010年 ハモンドオルガンの限界に挑んだ「KANKAWA/ORGANIST」はポーランド最高峰の「2011ベストレコーディングディスク」に選抜され、ジャズオーディオ大賞も受賞した。
2011年3月 東日本大震災が起きる。
その震災で自身の無力さを感じながら強く心を痛め、「自分に何ができるのか...」と悩み続けた結果、「世界中からの支援に対し被災地から“ありがとう”の感謝の想いを届けるプロジェクトを立ち上げた。
この活動を支えてくれるたくさんの協力者のおかげで一年以上の歳月をかけ、岩手、宮城、福島、千葉、茨城の5県12箇所の被災地で歌い手の一般公募を集い、自身が書き上げた“被災地発信ソング「未来への扉」”を被災地に在住の700人の大合唱でCD化。 被災地から世界中の貧困に苦しむ子供たちへ向け寄付を行い、世界中に感謝の想いを届けることに成功した。 この活動で得た教訓をもとに、さらに強い情熱と純粋な想いでレーベル運営と音楽制作に取り組むことを決意。
この活動が多くの支持を受け、各地で様々なプロジェクトがたちあがり「被災地から発信」する想いが強まった。
2011年12月 高音質レコーディングスタジオ「ティートックスタジオ」を茨城県常総市に建設。
震災の風評被害を受けていた茨城県常総市に町おこしも兼ねて、世界初の建築構造と電源対策、土壌改質など独自の理論をもとに徹底的に音質にこだわり建設した。
2012年 FM asmo「金野貴明のミュージックトレジャー」にて番組パーソナリティーを担当。(2012-2015 3年間)
2013年 日本の音楽業界の代表として、台湾にて「ミュージックビジネスセミナー」を行い好評を得て台湾政府から表彰される。
2014年11月 株式会社ティートックレコーズ設立10周年を迎えたことを機に、2015年1月、2月には10周年記念イベントを開催し、シンガーとしての長期間のブランクを感じさせぬステージを展開した。
2015年6月 根強いファンの支持に応えて、7年ぶりとなる3rdアルバム「アニメうた~レジェンド・オヴ・ヘッドホン~」をリリース。
ヘッドホンメーカー10社とのコラボレーションによるオールアコースティック編成で収録。
さらにアレンジはジャズ、ボサノヴァ、ファンク、ソウル、ロックなど様々なジャンルをクロスオーバーしてアニソンのイメージを一新した作品として好評を得た。
また衝撃的なジャケット写真も話題になる。
2015年 FM ラヂオつくば新番組「金野貴明のオーディオグレート」のパーソナリティーとして番組開始。世界初のハイレゾ録音による番組を発案し好評を得る。
2016年7月 フランスパリで開催した「2016ジャパンエキスポ」に出演。
イギリスロンドンで開催した「2016ハイパージャパン」に出演。
2017年2月 タイのバンコクで開催した「ジャパンエキスポ タイランド」に出演。
2017年9月 タイのバンコクで開催した「ジャパンエキスポinタイランド」に出演。
2017年10月 自身のバンドプロジェクト「アニソン・エボリューション」を結成。
2018年1月 アニソン・エボリューション 1stアルバム「アニソン・トリビュートvol.1」を発売。天才ギタリスト「マーティ・フリードマン」をスペシャルゲストに迎えた。
2018年1月 タイのバンコクで開催した「ジャパンエキスポ タイランド」に出演。
2018年4月 ニコニコ超会議2018に出演。
2018年7月 イギリス(ロンドン)で開催する「ハイパージャパン2018」に出演。
2019年8月 24時間チャリティーコンサートin岩手に出演。
2019年11月 Gold Bestレコ発&ティートックレコーズ設立15周年記念ライヴ開催。
2019年12月 音楽人生25周年を記念したベストアルバム「Gold Best」をリリース。
2020年2月 ジャズジャパン2019アワード「高音質ソフト部門最優秀録音賞」受賞。
2020年4月 FMかつしか「夜ドン!」ラジオパーソナリティーとして開始。
2022年2月 ジャズジャパン2021アワード「高音質ソフト部門最優秀録音賞」受賞。
2023年7月 フェンダー史上最高峰のストラディバリウス「ヴァイオンマスター / テレキャスター」を所有。
現在、音楽プロデューサー、トータルエンジニアとしての活動が主軸。
約300タイトル以上のプロデュース作品を生み出している。
自身のアーティスト活動では、オリジナル楽曲以外にもアニソンを通して、アニメ、日本の文化の素晴らしさを世界に届ける活動も精力的に展開している。
【主な代表作品】
★ベストアルバム「Gold Best 1」2019年12月リリース。
★サードアルバム「アニメうた~レジェンド・オヴ・ヘッドホン~」2015年
★マキシシングル「アメージング・ライフ」2008年
★セカンドアルバム「リベンジ」2005年
★ファーストアルバム「リファレンス」2000年
【音楽プロデュース作品(一部)】
★秋吉敏子「渡米50周年日本公演」
★マーサ三宅「ソフトリー・アズ・アイ・リーヴ・ユー」
★KBS TRIO「レゾナンス」(ベニーグリーン参加トリオ)
★KANKAWA「オルガニスト」
★マリアリー・パチェーコ「トーキョー・コール」
★ショーン・フォラン「トランスミッション・ポイント」
★北島 直樹「ソロ」
★小森谷 巧「弦の巧」
ほか、約300タイトル以上をプロデュース。
オーディオ関連【開発商品】
★AC LEGEND(電源ケーブル)
★マスターCD-Rシリーズを発案
★太陽誘電 高音質CD-R「ラムセス」を開発
★ハイレゾの先駆けとなる「マスターデータディスク」を発案
★世界初となるデジタルダイレクト・アナログレコードを発案・制作
★ゼロのひととき・・・(ゼロ磁場エネルギー)
★ハイディフィニション・ケース(世界初! 音質改善ディスクケース)
主な受賞暦
秋吉敏子「渡米50周年日本公演」
★スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞受賞
★2006年度ジャズディスク大賞「日本ジャズ賞特別賞」
★第19回ミュージックペンクラブ賞/ポピュラー部門・日本人アーティスト
「最優秀作品賞」
★第1回「ジャズオーディオ大賞」第9位
★第1回「プレイボーイジャズ大賞」第2位
★ゴールド・オヴ・ゴールドディスク100選(第2位)
彩花-iroha-「Dear Souls」
★スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞受賞
★2009年度ジャズディスク大賞「最優秀録音賞」授賞
★東久邇宮記念賞受賞(日本の三大宮様勲章)
★第一回 東久邇宮文化褒賞受賞(日本の三大宮様勲章)
KBS TRIO「What am I Here for」
★スイングジャーナル選定ゴールドディスク賞受賞
KANKAWA 「ORGANIST」
★ポーランドのハイフィデリティー「ベストレコーディングディスク賞」受賞
★ジャズオーディオ大賞銅賞受賞
ハイディフィニション・ケース
★オーディオ銘機賞「金賞」
★ジャズジャパン2019アワード「高音質ソフト部門最優秀録音賞」受賞。
★ジャズジャパン2021アワード「高音質ソフト部門最優秀録音賞」受賞。
その他、多数受賞。
ENGLISH
BIOGRAPHY
Finding his calling as a musician from the tender age of 10 as he performed on the streets of Japan, Takaaki Konno is a “total sound artist”, involved in every possible aspect of music. After a successful start, he experienced a major setback when he was involved in a serious accident, resulting in multiple fractures and injuries. Vowing to come back, he went on to release his first album “Reference” in 2000, set up his own production agency in 2004, and a second album “Revenge” in 2005. Over the past 10 years, he has been active not only as a musician, releasing “Amazing Life” in 2008 – he has also been active as a producer, finding new talent and working with musical legends such as jazz doyenne Toshiko Akiyoshi.
【Possession Guitar】
FENDER Limited Edition Violinmaster Telecaster® Relic®, Masterbuilt by Yuriy Shishkov
FRENCH
TAKAAKI KONNO est un chanteur japonais, également compositeur et producteur au sein de son propre label, T-TOC records, créé en 2004. Bercé par le monde de la musique depuis l'âge de 9 ans, il commence dès lors à composer ses propres morceaux. Après avoir démarré une brillante carrière à l'âge de 19 ans, un grave accident vient mettre un frein à son ascension. Il remonte cependant rapidement sur scène et sort deux albums en 2000 et 2005, Reference et Revenge.
Il multiplie ensuite les casquettes en devenant acteur et comédien de doublage pour des anime. À partir de 2006, sa carrière prend un nouveau tournant lorsqu’il commence à se faire connaître en tant que producteur et Total Sound Artist.
Plusieurs singles lui apportent par la suite un peu de notoriété tels qu’Amazing Life, en 2008, réutilisé pour le générique de plusieurs émissions télévisées ou encore la chanson Mirai he no Tobira écrite en 2011 en soutien aux sinistrés du tsunami dans la région du Tohoku.
Puis en 2013, TAKAAKI KONNO décide de mettre en place un séminaire à Taiwan, Music Business Seminar, qui revient sur l’industrie musicale au Japon et dont la popularité lui aura valu une récompense par le gouvernement taiwanais.
En 2015, il décide de se lancer dans la création d’un troisième album. Il réserve alors une surprise de taille à ses fans en se présentant sous des traits féminins sur la pochette de l'album.
Le clip de TAKAAKI KONNO pour la chanson Gegege no Kitarô est une reprise aux accents rock de l'opening de l'anime du même nom. Ce titre fait partie de l'album Anime Uta qui, comme son nom l'indique, reprend les chansons des anime des années 80.